Vol.1 前田慎二さん 2
長く一緒に仕事をしていても、こうやって話すのは初めてかも。話題は次から次へと途切れません。
昨日の続きからどうぞ。
藤江:その頃音楽誌ってどんなアーティストが人気あったんですか。
前田:TMネットワークや大江千里、吉川晃司、尾崎豊、米米CLUB、そしてユニコーンが人気だったと思います。「GB」や「パチパチ」が20万部前後、「ワッツイン」が10万部くらいだったでしょうか。
僕がソニー・ミュージックの営業部にいたのが 86年~89年で、音楽マーケットに変化が起きた時代です。レコードがCDに代わり、おニャン子ブームが終わり、アイドルが売れなくなっていく。
レコード店に営業に行くと手に取るようにわかるんですけど、光GENJIのファンだった子が次から次へと、TMや大江千里、尾崎豊、米米といったアーティストのファンに鞍替えしていくのを目の当たりにしました。
だからざっくり言うと89年当時、音楽誌は「明星」のジャニーズ系の読者を奪うことで部数を増やしていたんですね。
藤江:確かに、僕が集英社に入った頃(91年)の「明星」って、ジャニーズの人気グループの盛衰の歴史の中で 過渡期にあたっていて、部数がすごく下がっていた時期でしたね。その後SMAPの台頭で盛り返すんですが......。
前田:でも僕は音楽誌というのは、つまるところ「明星」の音楽版だなと思うんです。 僕がソニー・マガジンズに異動になった89年の社員旅行で、研修会があってその時の講師が集英社の元「明星」の編集長で。その講演は「『明星』では、タレントさんの親御さんに 毎号毎号ページをファイルしていただくと、わが子の成長のアルバムになるように編集してきました」という内容でした。
雑誌の撮影が、タレントの「成長」に繋がるという考え方は衝撃でしたね。これは他の会社にはない発想だと思います。
藤江:そうか。そうかもしれませんね。集英社には、雑誌に関わっているタレントを 守らなきゃ、育てなきゃいけないという空気は あるかもしれませんね。そう言われると、他の出版社にはないかもしれないですね。
細野:うちのボス(齋藤清貴氏)も「明星」で撮っていたし、 大ボスも(齋藤清貴氏の師匠:長谷川巽氏)も撮っていたからね。そういう意味では僕の被写体への接し方は、そこから影響は受けているのは間違いないでしょうね。でも僕からすれば、ミュージシャンとアイドルは違うものだと思っていたなあ。