SHINJI HOSONO PHOTOGRAPH

Vol.3 佐藤優さん 4

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藤江:ところで細野さんはライブを撮る時と勝手が違うと感じたところはなかったんですか。例えばライブでは、アーティストの目線は観客席に向かっているけど、演劇では役者の目線は役者同士のことが多いし、いつも観客席に向かうわけではない。

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細野:戸惑たったのは舞台には台詞がある、ということだった。この台詞の感動をどう伝えるか。それが手に届くような感じで押さえたい、と思っていた。

今では舞台をいろんな見方でとらえられるようになってきたとは思います。この場面は近くから、ここは遠くの客席から舞台の全体像を「こうなっているんだ」と見せたほうがいい、とか。


佐藤:そういえば、僕、細野さんに台本渡してなかった(笑)。でも細野さんの横にいて「この台詞がハイライトだから近くにいって撮ってください」とか言われたくないでしょう。

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藤江:ライブ撮影の時も説明はないですよね。

佐藤:でも表現においては制限というか制約がったほうがいいこともあるんだよね。

藤江:それもわかります。制限があったほうが、それをなんとか乗り越えようと思って工夫しますものね。

佐藤:六本木のアンダーグラウンド・シアター自由劇場ってとにかく狭いから制約が多かった。舞台にたくさんセットを作るわけにもいかないし、天井も低いし、袖なんかもないし、役者の出入りをどうするかとか、考えなきゃいけない問題がたくさんある。

そこで表現や演出も工夫したり、考えたりするようになる。そこが小劇場の良さなんです。かえって大きな舞台で自由にやれるとなると難しい。そこからが才能のある・なしが問題になってくる。


藤江:答えは自分で見つけるしかない。細野さんが感じていた佐藤さんの〝無言のプレッシャー〟の正体もそこにあるような気がします。

「自由に撮っていい」というのは、ある意味いちばん厳しい指示なのかもしれない。

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佐藤:でも細野さんの写真はいつも新鮮でした。


細野:この写真集『上海バンスキング1991』が出てから、佐藤さんとは公演のパンフの仕事をいただくようになって、つながっていく。

そこでBunkamuraのプロデューサーで加藤真規さんが僕と大学も年齢も一緒だというのがわかって、コクーンもまだできたばっかりだから、一緒にやろうということになった。

ところが佐藤さんは1996年にBunkamuraの仕事を辞めちゃうんです。


佐藤:いやいや、串田さんが芸術監督を降りることになったからね。同時に自由劇場の解散も宣言した。

この『舞台は笑う』という本は、コクーン7年分と自由劇場の30年を2部構成にしてまとめたものです。それぞれの芝居の名場面を載せている。コクーンの後半は細野さんが撮ったものですね。

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この本のデザイナーは串田光弘さんといって串田さんの弟で、「ビッグコミックオリジナル」(小学館)の表紙のデザインをずっと担当している人です。

『舞台は笑う』は表紙はシンプルで、本の見返しに宇野亜喜良さん(イラストレーター、舞台美術家。自由劇場では美術を担当し、かつ自由劇場応援団の一人)の書き下ろしのイラストを使っている。裏地に凝る、というか。

ちなみにこの本で僕は初めてパソコンでデータを作ってデザイナーに渡した!

細野:自由劇場のファイナルは、96年の七夕の日でした。僕も撮影で入っていましたが、客席を見ると、(松)たか子さんが普通に座っているし、和田誠さんもいたと思う...。


前田:小さな劇場に著名な俳優さんたちや演劇関係者、文化人でぎっしりの一種異常な雰囲気の公演だったらしいですね。


(まだまだ続きます!)