SHINJI HOSONO PHOTOGRAPH

STAR SHOT Talk Vol.2 藤江健司さん 1

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細野晋司がゲストを迎えて、
過去・現在・未来について語り合う
『STAR SHOT Talk』

第2回目のゲストは、藤江健司さん。
『STAR SHOT Talk』では、司会進行役をお願いしていくつもりでしたが、今回はゲストに。 となると、話題は勿論、グラビアですね! 前回ゲストの前田さんが、司会進行を引き受けてくださいました。対談風景は、コバこと、小林由恵さんが撮影してくれました。

前田:藤江さんは、「ヤングジャンプ」が表紙やグラビアで毎号女の子を扱うようになった当初からの担当編集で、マンガ誌のグラビア・ページのパイオニアともいえる存在だと思うのですが、そもそもどのようにしてアイドル・グラビアが始まったのでしょうか。

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藤江:女の子で表紙とグラビアを始めたのは93年からですね。「ヤングジャンプ」は創刊当初しばらく、イラストレーター松下進さんの熊のイラストの表紙が続きました。

その後時事ネタというか、「時の人」やスポーツ、季節ものなど時代を映す者なら何でもありの時代があって、山路さん(山路則隆さん)が編集長になって「漫画雑誌はマンガだ!!」とそこから一気に毎号マンガで表紙になったのですが、女の子のグラビアで表紙をやってみたらすごく売れた。

「やっぱりグラビアだろう」ってことになったんです。


前田:グラビアの女の子が表紙になるのは、講談社の「ヤングマガジン」や「少年マガジン」が先行していたようですね。

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藤江:そうです。でも「ヤングジャンプ」では編集者にグラビア経験者がいなくて、どうやってページを作るのか誰もわからなかった。タレントの事務所との出演交渉の方法もわからない素人集団でした。だから社内の雰囲気も「やれるものならやってみろ」という感じでしたね。


前田:そんな雰囲気だったんですか。


藤江:編集部がそんな状態だったので、講談社の「ヤングマガジン」では野村誠一さんが毎号グラビアを撮るのが売りになっていたので、「ヤングジャンプ」では元スタッフ・カメラマンだった齋藤清貴さんに撮ってもらうことになった。細野さんの師匠です。


細野:齋藤さんが、集英社辞めてフリーになって1年くらいの時に僕がアシスタントになった。その年に斉藤由貴の写真集を出して、あと後藤久美子、おニャン子、中山美穂の写真集とヒット作を出していた。

一時期、学研の「Momoco」の主力カメラマンで、そういった仕事を通じて齋藤さんは芸能界で人脈を培っていったんだと思います。

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藤江:齋藤清貴さんが僕ら編集者の先生でした。事務所との出演交渉でも、「清貴さんが撮っています。斉藤由貴さんにも後藤久美子さんにも出てもらっています」というトークが切り札でした。

(続きます)