SHINJI HOSONO PHOTOGRAPH

Vol.3 佐藤優さん 2

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前田:オフ・ブロードウェイでヒットした演目がブロードウェイに進出して、世界的な演劇作品になるというのは、よく聞く話ですが、日本では珍しいことなんですか。


佐藤:本当に稀有なことなんです。

例えば野田秀樹の夢の遊眠社が駒場東大の小劇場から始まって、下北沢の本多劇場、そして新宿の紀伊國屋ホールでやるようになる、みたいな劇団として成功する道筋みたいなのはあるんですが、公演のたびに演目は変わります。

ところが『上海バンスキング』は芝居そのものが育っていったんです。

最初、六本木の小さな小屋(アンダーグラウンド・シアター自由劇場)で20人くらいしかお客さんがいなかったのに、それが60人100人になって、銀座の博品館劇場の400席弱の小屋になり前売りに長蛇の行列ができるようになり、747席のシアターコクーンではひと月近くの公演チケットがあっという間に売り切れるようになった。

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前田:音楽の世界でも、当時、渋谷のエッグマン(ライブハウス)でやっていたバンドが、道を挟んで向かいの渋谷公会堂でライブやるようになるとレジェンドと言われたのを思い出しました。CDがヒットしたというより、ライブそのものが観客とともに育っていくと、伝説になる。


佐藤:『上海バンスキング』という作品自体が怪物化したんです。

役者のほうにも小屋(劇場)が大きくなっていくことにも戸惑いがあって、コヒさん(小日向文世)から聞いた話だけど、同じ芝居なのに六本木だったら1歩歩く場面が、博品館だったら2歩歩かなきゃいけない。ましてコクーンでは...。目線の向け方も変かってくるし。これは役者にとってかなりのストレスなんです。


藤江:現場は随分緊張状態だったでしょうね。


細野:でも撮影にあたって佐藤さんから何がダメという指示はなかった。串田さんからも何はダメとかそういうのはなかった。

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藤江:「お前なにやっているんだ。ウロウロするな」というのはなかった?


細野:串田さんからは「自由に撮っていいよ」と言われていた。

ただし現場のスタッフに「お前なにやっているんだ」と言われたことはあるよ。でもシャッター押せなくなるようなトラブルはなかった。音楽のライブ以上に結構いろんなところから撮ることができた。

この写真はステージに上がって撮ったし、これは舞台の袖からだね。


佐藤:演劇の写真を撮るのに舞台に上がってしまうカメラマンはそれまでいなかった、と言っていいと思います。みんな客席の定位置にドーンと構えて撮る人ばかりだった。

でも細野さんは、自分でいろいろ動いてみたくなったようで、舞台を上から撮るために三階の客席に駆けあがって撮ったり、舞台に上がってみたりしていましたね。

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藤江:様子が目に浮かびます。


佐藤:これは細野さんには言ってない話なんだけど、細野さんの撮った写真のプリントを急ぎであげてもらって、渋谷のコクーンの稽古場に持って行った。そこで日出子さんに見せると「何これ」って変な顔をするんですよ。そこに串田さんが通りかかって、それを見て「いいんじゃない」って言って、GOになった。きっと串田さんのセンスにあっていたんだね。

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細野:これは多重露光で、モノクロで撮ってから着色したんです。

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佐藤:細野さんの演劇の写真は本当に斬新だった。

細野:舞台の写真は初めてだったし、佐藤さんからは「自由に撮っていい」と言われていたから、撮る場所からテクニック的な部分も手探りで撮影していたのを憶えています。

ただ、唯一の救いは音楽がテーマの演劇だったこと。それもジャズだからそのイメージを自由に持ちながら、僕の中ではB'zのライブを撮る時と同じスタンスで臨めた。

(続きます)