Vol.1 前田慎二さん 5
前田さんをゲストに迎えての5回シリーズ、最終回です。
藤江:音楽業界で活躍していた細野さんですが、96年から「ヤングジャンプ」でグラビアを撮ることになった時、細野さんが前田さんところに相談に行ったそうですね。前田さんは、細野さんの背中を押してグラビアの世界に送り出した。
細野:前田さんは僕に「これからのキャリアでポートレイトを撮っていくには10代の女の子を撮るのは大切だ」と言うんですね。
前田:ピチカート・ファイヴの小西康陽さんとアイドル話ししていた時に、小西さんが「10代後半の女の子の声帯は日々変化して大人の声になっていくんです。その日レコーディングできる声はその日だけのもの。だから作曲家としてそこに曲を書かない手はない」と言うんです。
それはポートレイトも一緒ですね。松田聖子のシングルジャケットの写真とか女性の成長の記録じゃないですか。
だからポートレイトやる上で10代の女の子はカメラマンにとって大事な被写体だと思っていました。
藤江:それは、もうわかります。
前田:でも一番の理由は、ちょっと違うんです。その時は、細野さんには言わなかったんですが、音楽誌って細野さんが仕事を始めた90年の2~3年後から部数がどんどん下がり出すんですね。大きな要因はたぶんB'zやZARDを中心としたビーイング系がJ-POPの中心になってきたことと、SMAPでジャニーズ系が復活したことでしょうね。
ビーイング系は雑誌の取材を制限していましたし、SMAPも音楽誌はできない。幸いワッツインはビーイング系の取材ができたので、部数は伸びましたが。
ところが96年頃からビジュアル系ブームで音楽誌の部数が急激に復活して、97年は音楽誌は過去最高の売れ行きでした。その中で僕はすごく危機感というか焦燥感があったんです。
だってどの雑誌も人気のビジュアル系のキャステイングに心血を注いでいたし、音楽誌の写真もビジュアル系に合わせるようになってきた。だからどの雑誌も似たようなテイストになってしまうし、新人もベテランも似たようなタッチの写真になる。
藤江:細野さんのような、アーティストの可能性を見つけて育てていくようなカメラマンを活かせる環境じゃなくなっていたんですね。
前田:そうです。その後音楽誌は部数が急激下がって、現在は、当時の雑誌ほとんど残っていません。スター・メイキングができなくなった時に音楽雑誌は役割を終えたんだと思います。
藤江:ちょうどその時、細野さんはアイドルグラビアの世界に参入されて、「ヤングジャンプ」を舞台に様々な10代の女の子を撮りながら、幾多の女の子をスター・メイキングしていくわけです。
僕らも一緒にお仕事させてもらって、すごく楽しく貴重な体験をさせてもらいました。次回からはその辺の話をもっと聞きたいですね。
<終わります。>